場 所 青森市街地の南西方3キロ
JR青森駅からバスで約30分

 遺跡には展示室、売店、食堂が隣接されています。1日8回、無料の案内(ボランティア・ガイド)があります。発掘中の場所もあり、曜日によっては説明を聞くことが出来ます。
時 代 縄文時代前期中頃から中期にかけての1500年間続いたと考えられている
特 徴  江戸時代から土器が出ることで知られていた三内丸山は平成5年に県営野球場として整地されつつありましたが、事前調査で大集落跡や貴重な遺物が見つかった為平成6年に野球場計画は中止されました。縄文人は獲物を追って住居を転々としていた、というイメージを塗り替える大発見だったのです。
 この遺跡からは1500年にわたって人々が住み続け、大規模な住宅や墓、道路やゴミ捨て場が秩序だって並んだ都市計画がされていたことがわかりました。
 また、青森では取れない貴石(ヒスイや琥珀、黒曜石等)、船のオールが見つかっていることから三内丸山以外との交流(北海道や新潟)もあったようです。いまのところ戦いの痕跡は見つかっていません。人々は仲良く、楽しく暮らしていたのでしょうか? 展示室にあった土偶の顔を見ると、そんな気がしてきます。
エジプトは?  三内丸山遺跡が栄えたとされる紀元前2000年から3500年といえば初期王朝時代から古王国時代。上下エジプトが統一されつつあった時期、我らが縄文人も独自の文明を築いていたのです。


【大型掘立柱建物】 いくつかの案から復元された約15mの柱。柱のみ6本立っていた、という案もあります。柱の間から夏至の日の出、冬至の日の入りを見ていたのではないかというのが理由です。いったい何だったのでしょうか? 本当の柱跡は横のドームの中で見ることが出来ます。 【大型掘立柱建物跡】 柱を立てる為の直径、深さ約2mの穴。6つの穴は4.2m間隔で立っており、中には直径1mのクリの柱が一部残っていました。底と周囲を焦がしてあった為、腐らず残っていました。
 実物の穴はドームで覆われて常時見学できます。このドーム横には大型掘立柱建物を復元したものがあります。
復元された掘建柱と大型竪穴住居 【大型竪穴住居内部】 長さ32m、幅9m。雪が積もったときは屋根から入ることが出来ます。
【掘立柱建物跡】  建物の柱の跡。高床式倉庫ではないかといわれている。 【掘立柱建物】 左の柱跡を復元したもの。 
【竪穴住居】 地面を掘って床を作り、その中央に炉設けたタイプの住居。中は以外と広く、立って歩ける高さがありました。現在599棟が確認されている。 【南盛土】 約1000年の間、生活廃棄物をすてていた場所。土器や石器が約3mも積もっています。土から顔を出しているのは土器。
【大人の墓】 地面を掘り、楕円形の穴に埋葬されました。等間隔に並び、墓の列の間には道があったようです。(右端の茶色部分)海へ続く道は一段低く整地されていました。 【子供の墓】 子供の遺体は土器に入れ、居住域の近くに埋葬されていました。土器の中には丸い石が1〜2個入っているものが沢山見つかっています。(中央のものが割れた土器)
【谷(泥炭層)】 ゴミ棄て場として使われていたようで、空気から遮られたこの場所からは木製品、漆器、動物や魚の骨など多数のものが良好な状態で見つかりました。草ぼうぼうですがV字型の谷で今も水が沸いています。 【縄文ポシェット】 左の谷で発見されました。イグサ科の植物で編んだ15cmくらいの袋で、口を巾着のように閉じられるようになっています。中からは半分に割ったクルミが出てきました。
【大型板状土偶】 遺跡内の展示室にある土偶。使用目的は不明ですが、高さ32cmは国内最大級。なんだか怪しい土偶です。 こちらも展示室にある土偶。笑っているようなカワイイ顔に惹き付けられました。