2005年10月23日(日)〜24日(月)
 
羽田→関西国際空港→ドーハ(カタール)→ベイルート(レバノン)

 

 今回お世話になったのは、ユーラシア旅行社。レバノンを扱っている旅行社は少なく、あっても料金は高め。ここも高めではあったが、『観光第一(遺跡見学の時間をたくさんとる)』、『コミッション制度のある土産物屋には案内しない』の二点が気にいってパンフレットやホームページを見ているうちにすっかり行く気になってしまった。
 直前にホテル側の都合で訪問地の順番が変更になったが、これが幸いしたのか最終日のホテルで貴重な(?)経験をした。
 
 ここの旅行会社は熟年層というか高齢者を対象にしていると思っていた。50%はリピーター、ということも何かで読んでいたので熟年にはまだまだ早い私は少し心配していた。最終予定表と共に送られてきた注意事項の冊子には「写真撮影の場所取りを巡って、お客様同士のトラブルも発生しております・・・・・譲り合いのお気持ちをお忘れなく・・・」とある。ひゃ〜、カメラおやじって怖〜い。(勝手におじさん達だと思っている) この注意書きを読んで更に心配になる。 準備万端、ドキドキして羽田へ向かった。
 
 夜、羽田に集合。北海道や大阪に向かう人たちの中で「『レバノンの世界遺産を極める8日間』にご参加の皆様〜」と声をかけられ、ちょっと恥ずかしい。
東京から出発の数名と添乗員のT女史で関西国際空港へ。関空では時間があまりないので自己紹介等なく、すぐにカタール航空のカウンターでチェックイン。私はどうしても欲しい化粧品があったので閉店間際の免税店へ直行する。今回のツアー参加者は14名。一組がご夫婦で、あとは皆一人参加! こんなこともあるんですね。びっくり。
 
 カタール航空はお勧めです。夏休みなどはかなり混むらしいですが、それ以外はすいていることが多く、エコノミーなど一人で一列使用できます。私も窓がある側の2席を使用。ほとんどの人は真ん中の一列を使って寝ていました。
 エコノミーの座席は2-4-2席なのでゆったり広めです。KLMで窓側なんかになったら出るに出られなくて本当に大変。全席モニターも付いていて映画を見たりゲームができます。食事は機内食にしては美味しいほうです。
カイロやルクソールへのルートもあるので、次回エジプトへ行くときはここにしようと思いました。

 24日月曜日の早朝、カタールのドーハに到着。すっと入国手続き終了。事前に集めた査証代はカタール出発時に返してくれた。一応、必要らしいのだが、今回は徴収されなかったとのこと。添乗員さんが前回来たときは取られたそうです。
 ベイルートへの乗り継ぎ便まで時間があるので、朝の6時からドーハ観光が始まる。
 ガソリンよりミネラル・ウォーターの値段が高い、建物や車にカギをかけない、とか話を聞いているうちにすっかり目が覚めてきた。「盗まれないのー?」には、「だれが盗るの?」。観光途中にオープン前のショッピング・センターやスタジアムにふらふら入れたのはこういう事情だったのね。もちろん『パラダイス』ではないでしょうが、こんな国もあるというのを自分の目でみられて面白かったです。
 
 まずはラクダ市場へ行く。色とりどりのラクダを見学。生まれたてのラクダがいたが、虫の息。しかし、係りの人はなにもする様子はない。動物園のラクダじゃないから、自然のままなのでしょうか。厳しいな。
 それから、野菜・フルーツ・マーケット、食品・民芸品・マーケット、2006年に開催されるアジア・オリンピックゲームのスタジアムを見学。たくさんある王宮(ロイヤル・ファミリーは大きい)を見つつ馬の飼育場に向かった。
黒いラクダはサウジアラビアから
親の足元にいる死にそうな子供

野菜のマーケット
野菜も働いている人も外国から来た

やしの木や観葉植物も売られている


 馬のトレーニング風景などを見て、またバスで出発。あのアルジャジーラ・テレビ局の前を通って教育庁や経済庁などの建物を見てまわる。アルジャジーラは内部見学もできるそうだが、朝の7時じゃ無理。これは残念だった。
 中東で最も大きなショッピングセンターであるシティー・センターへ行く。10時オープンなので閉まっているが、中に入って(!)見学する。掃除人が少しいるだけなのにエレベーターもエスカレーターも人工滝もガンガン動いている。皆で「電気、もったいないねー」といいつつひと気のないショッピングセンターを見てまわる。
 鷹狩り用の鷹を扱っているお店へ行くが閉まっているのでドーハ湾へ向かう。ドーハ湾の美しい海を見て市内観光終わり。(えっ???、これだけ?)砂漠ツアーなどは別として、観光地としては開発途中なので市内にはたいしたものはありません。
 
ドーハ湾の向こうに見える、ホテル群
左端のビルの中には、なんとモスクが入っています 見えるかな?
  
 今回の旅行中はピッタリとラマダン(断食月)にあたってしまいました。ドーハ市内見学中は何か食べたり、水を飲んだりしないように注意されていましたが、もう10時近いので腹時計が鳴りっぱなし。
 空港へ向かう途中、あの『ドーハの悲劇』の舞台、アル・アハリ・スタジアムの横を通った。添乗員さんが「ここが・・・」と説明していると、ガイドさんが「中に入る?」 特にサッカーファンではないが、「ここかー」などと思いながら写真を撮ったり芝に触った。
  
あの悲劇の舞台  建物はボロだが、グラウンドは整備されている
 



2005年10月24日(月)〜25日(火)
  
ドーハ → ベイルート → サイダ(シドン)



 ドーハの空港に戻ったのは10時過ぎ。出発の12時過ぎまで免税店を見たりおしゃべりをして過ごす。飛行機は予定通り出発し、3時間後にはレバノンのベイルートに到着した。
 ホテルへ向かう途中、スーパーマーケットや色々なお店の場所を添乗員さんが教えてくれる。夕方4時半にホテルに着いたので7時の夕食まで皆、街を散策。
  
部屋からの風景
メインストリートのハムラ通りに面している
朝には沢山の船が見えた
 
 夕食はホテルの21階にあるレストラン。ラマダン中なので、レストラン内の見える場所にはお酒が置いてない。とはいっても、日が暮れてからの食事はOKなので地元の人で賑わっていた。メニューはラマダン用とのことでしたが、ベジタリアンの私は満足。
 明日は8時20分にロビー集合。シドンとティルスへ行く。
 
  
 今日からガイドの女性、スージーさんとドライバーのマルワンさんが一緒。
ベイルートを南下して、ティルスとシドンへ向かう。シドンとは古名で現在はサイダと呼ばれている。ティルスも古名で、現在はスールという。外国人には、遺跡のある場所や、歴史的に有名な古名のほうが知られていると思います。(たとえば、ジュベイルという地名より、古代ギリシア人が呼んでいたビブロスのほうがピンと来る人が多いように)

 サイダに入る前にお菓子屋さんで一休み。サイダの名物菓子サニョウラ(卵ボウロの大きいようなもの)を添乗員さんが購入。皆で味見をする。
どれも蜜でテカテカしてて、甘そう
 

  
一番甘くなさそうな、普通のクッキーを500g購入
これが美味しかった!!!

  
 シドン(現サイダ)は紀元前4000年前には人が住みはじめた場所。キリストや使徒パウロも立ち寄っているそうです。1111年十字軍によって町は包囲され陥落。その後、十字軍によって建てられた『海の城砦』を見学。城砦は破壊と修復を繰り返し、塔の一部とモスクが残っている。
  
左は塔の一部
亡きハリリ首相を偲ぶ写真が飾られていた

 
城壁には神殿の柱が使われている
シリアの遺跡でも同じような城壁があった
   
大理石の柱を再利用?
  
一番高いところまで登ってみました
  
  この赤い石を見るとアスワンを思い出します


   
矢を射るための窓
外側から見ると狭い隙間も、
内側は扇状に広がっている

  
 最初はベイルートから遠いティルスの遺跡を先に見学する予定でしたが、ドライバーさんが急病でダウンしたため(お菓子屋さんのあたりで、すでに元気がなかった)、先にシドンを見学することになった。『海の城砦』を見ている間に代わりのドライバーさんを手配して、行き先の変更もまったくドタバタしませんでした。添乗員さんもガイドさんも見事です。
 城砦から歩いてスーク、宮殿、キャラバンサライへ向かう。
  
 ここでレバノンとハリリ元首相について少し。
 地中海東岸にある古代フェニキア人の根拠地。南北にレバノン山脈、アンチ・レバノン山脈が平行して走り、その間にベカー高原がある。昔は船材として有名なレバノン杉におおわれていた。迫害を受けた宗派が多く流入し、北部にはキリスト教マロン派、南部にはイスラム教の異端ドルーズ派が居住している。
 ローマ帝国、ビザンティン帝国の支配下にあった時代にキリスト教化し、7世紀以降はイスラム圏に入る。そのため複雑な宗教分布になっている。
 第一次大戦後、オスマン帝国領からシリアの一部としてフランスの統治領となる。1926年シリアから分離、1944年完全独立を達成。その後、パレスティナ難民の流入、キリスト教徒とイスラム教徒の対立、そしてPLOもからんで内戦が相つぐ。1975年に始まった内戦は、76年にはシリアの介入、82年にはイスラエルによるレバノン侵攻と続き、1990年ようやく内戦は停止された。しかし、内戦以降、シリア軍はレバノンに駐留し続けている。
 複雑な民族・宗派の均衡を図るため、大統領はマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒から選出される。また、議席の数も宗派で決められている。

  

 ラフィク・ハリリ : 1944年レバノン南部のサイダ生まれ。サウジアラビアで実業家として成功したラフィク・ハリリ氏は、レバノン内戦が終結した1990年に帰国し、国の再建に貢献。2000年首相に就任。2004年、シリアの後押しを受けるラフード大統領の任期延長に反対して辞任。
 2005年2月14日、会議を終えた元首相は防弾仕様のメルセデス5台でボティーガード、前閣僚らと移動。聖ジョージホテル前にかしかかった時、爆弾が爆発、十数台の車、付近の建物などが多大な被害を受けた。死傷者多数。ハリリ氏は即死。葬儀のときにはベイルートの街は国旗と人で埋めつくされた。
 ハリリ氏暗殺後、シリア軍の完全撤退を求めるレバノン国民、国際社会の圧力が強まり、シリア軍は4月下旬までに撤退を完了。当初からシリア犯行説が取りざたされていたが、ハリリ氏殺害の真相解明にあたった国連の調査委員会は、アサド・シリア大統領の親類たちがハリリ氏暗殺に関与していたとする報告書を公表した。
 今回の旅行直前にも、シリアに批判的なニュースキャスターの女性が車爆弾で重傷をおう事件があった。今もレバノン国内ではテロが頻発している。
 
 
 恥ずかしいことに、私が旅行前に知っていたことといえば、古代フェニキア人・レバノン杉・各地の遺跡・内戦が続いていた(ベイルート=危ない場所)ことだけ。頭の中には「バールベックの遺跡」や「ビブロス」しかありませんでした。
 
 海の城砦をあとにして、スークを見学する。途中、1722年に建てられた家「デベネ宮殿」を見学。オスマントルコ時代の装飾が綺麗に残っている。
 スークを抜けてハーン・エル・フランジュ(キャラバンサライ=隊商宿)に向かう。17世紀に建てられたキャラバンサライはフランス領事館として使用されたこともあった。

 現在はハリリ基金によって修復され、文化センターになっている。
  
スークの入り口にあった漬物屋
何を使っているのか?
ものすごい色のカリフラワーやキャベツ
        
外から見るより中は広くて美しいキャラバンサライ
  
緑と花が美しい
二階に上がることもできます

  
二階からの眺め
教会の十字架がたくさん見えます

  
ハリリ元首相の暗殺の日とその後の写真を展示している最中でした
右の写真は、会議終了後のハリリ氏
その後、すぐに左の写真のように・・・

 
一階はあの惨劇を時系列に展示しています
ところどころにある部屋の中ではお土産や洋服が売られていました
  
  
 「キャラバンサライ、きれー」などと観光気分で入った中で、突然この暗殺事件の写真を見て、私は泣きそうになってしまいました。
 ちょうどこの年、36歳で戦死した祖父のことを色々と調べていました。いまだに旅行では行くことができないようなへんぴな場所で一人土になった祖父を思うと、無念さでいっぱいです。しかし、その祖父達の代で戦争が終わったからこそ、今の私は幸せに暮らせると感じていました。
 何ヶ月か前にレバノン国民にとって悲劇的なテロがあったこと。復興したとはいえ、15年前の内戦の跡が色濃く残っていること。まったく知らなかったこれらの事実にショックを受けました。更に、祖父のことを思い出したことで悲しみが増してしまったのです。今でも戦渦に巻き込まれている地域は沢山あります。しかし、自分が旅行に行く場所で戦争の傷跡を感じるとは思ってもいませんでした。
 ガイドのスージーさんは幼い頃、シリア兵達が検査といっては家に入り込み、物を壊したり、盗んだりするのを見ていたそうです。時々こんな話もでるので参加者がしんみりすることもありました。
   
昼食をとったレストランの前
なつめやしがとても綺麗
 
 キャラバンサライをあとにして、川沿いのレストランで昼食。メインディッシュは鯛のフライ。
アラビック・コーヒを飲んでから古代ティルスの遺跡へ向かう。
  

  
 この昼食のときに自己紹介がありました。なんと全員が遺跡好き。遺跡目的でこのツアーに参加したとのことで、なんだか親近感がわいてきます。もう一つ驚いたことは、80歳を超えた紳士がいたこと。(たしか86歳だったような・・・)それも一人参加です。往復はファーストクラスを使っていましたが、それ以外は皆と一緒に食べたり行動したりしていてとっても元気。山登りなどちょっと無理そうな場所では、「私はここでお待ちしております」とすっと列から外れる。それがまたスマートで、素敵なおじい様なのです。世界のほとんどを見て周ったこの紳士。私達の間では密かに「名人」と呼ばせていただいておりました。なかなかユーモアがあって、素敵な「名人」は、すぐに「仙人」というあだ名に変わりました。
  
 古代ティルス(現スール)は紀元前11世紀に栄えたフェニキア人の国だった。アレキサンダー大王は当時本土と島にわかれていたティルスの間に堤を造り7ヶ月かかってこの海上都市を征服した。この島は本土と完全につながり、半島になっている。現在はローマ時代の遺跡が残っている。古代ティルスはツロとも呼ばれ、イエス・キリストはツロで悪霊に取り付かれた娘を癒している。
 このティルスは世界文化遺産に登録されています。
まずは本土にある遺跡 ネクロポリス
  奥に見えるマンションは違法建築
勝手に建てちゃったそうです

  
家のような石棺
 
石棺のデザインは色々
凝っているものが沢山

  
ライオンでしょうか?
 
 
凱旋門
  
人と比べると、こんなに大きい
 
列柱通り
  
ネクロポリスと列柱通りをぬけると
馬車競技場(ヒポドローム)

写真はスタンドとキオスクの跡
     
合せ鏡のよう
 
 数年前にトルコに行ったときの自由時間(見学時間)は5分から15分。なのに土産物屋には数時間。今回の旅行はツアーにしてはたっぷり見学時間がありました。また、今回初めてだったのですがイヤホン・ガイドがありました。ちょっとグループから離れて写真を撮っていても、説明はちゃんと聞こえるのでとても便利でした。ガイドさんの説明を添乗員さんが訳してマイクで話すのですが、マイクを切らずにトイレに行ってしまった女性添乗員さんがいたとか。その一件以来、添乗員さん達は注意深くなって、こまめにスイッチを切っているそうです。
 古代ティルス(現スール)はレバノン南部にあり、外務省の渡航延期勧告が発令されている場所です。ヒズボラの本拠地でもあり、パレスチナ難民キャンプがある場所でもあります。ここへ向かう途中、国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の戦車のような車を何台も見ました。網の向こうは国連の監視や治安維持が必要な場所。
 しかし、私は浮かれ気分で島だったほうにある遺跡に向かう。
  

 バスで5分移動して昔、島だったほうの遺跡を見学。遺跡はローマとビザンチン時代のもの。ここ古代ティルスのプリンセス、エリッサが兄から逃れて北アフリカへ渡り、カルタゴをつくった。
    
美しいレリーフに花がからまり更に美しく見えます

  
遺跡の入り口 色々な花が咲いていた
ローマ列柱通り  
  
奥まで入って見学できる
  
モザイクで飾られた床
 
貯水槽跡
 
周りを海に囲まれていて、眺めが良い
  
ローマ公衆浴場跡  レンガは、床を支えていた柱
 
釣りをしている人
巻貝や古いコインを売るおじさんもいました
緑の大理石でできている柱もあり
ガイドさんが水をかけると濃い緑になった
  
 遺跡周辺の建物は屋根がなかったり、銃弾のあとがあったりと痛々しいが、ここは花が色々咲いていてとてもきれいだった。ツアーで訪れる場所としては最も南にある遺跡でしょう。最近の新聞に瓦礫の山となったスールの写真が載っていた。スールのどこだか判らないが、住民はもちろんのこと遺跡も無事であることを祈るばかりです・・・。
  
 遺跡をゆっくり見学して5時過ぎにホテル到着。7時の夕食まで街をぶらぶらする。明日は少しエジプトに関係ある遺跡を見学する予定。楽しみ。