2005年10月28日(金)〜30日(日)  
  
ブシャーレ→トリポリ→ベイルート→ドーハ(カタール)→関西国際空港→羽田


 今日は1日、カディーシャ渓谷の観光。山道を行くので現地ドライバーの運転でミニバスにて出発。
カディーシャとは『神聖な』という意味。初期マロン派の司祭たちの隠遁の地だったため、今でも多くの修道院や教会、洞窟、庵などが点在する。この『カディーシャ渓谷(聖なる谷)と神のスギの森』は世界文化遺産に登録されています
途中で写真ストップ。大きな谷に建物がへばりつくような感じで建っている
  
町の中心
 
岩の中に埋まっているような聖エリーシャ修道院
  
 約1時間バスで山道を進み、その後徒歩で30分山を登った。出発点となる小さなレストランでツアー最高齢の仙人はリタイア。まさかツアーでこんな山を登るとは正直、思っていなかった。結構キツイ山道だ。
 山の上にあるカノウビーン修道院を見学。375年、ローマ皇帝テオドス帝の時代までさかのぼることができるらしい。山を降りて絶壁の洞窟の中に建てられた聖エリーシャ修道院を見学。その後ブシャーレへ戻ってジュブラン・カリール博物館を見学する。
  ジュブラン・カリールはブシャーレ出身で、詩や絵画を残している。
急な山道を行く
  
 1時頃ホテルに戻って昼食をとる。ホテルには警備の人たちやTV局の人たちが集まり、なにやら準備に大わらわだ。それをよそ目に、私達はレバノン料理を堪能。午後は聖アントニオ修道院とレバノン杉を見に行く。
聖アントニオ修道院には現在、修道士7名と隠遁者2名が生活をしている。小さな博物館も兼ねていて、中東初の印刷機も展示されている。
聖アントニオ修道院
  
天然岩の教会堂
  
聖アントニオの洞窟
『気違いの洞窟』として知られ、悪魔払いのため狂人たちがつながれていた
真中に垂れ下がっているのは、狂人をつなぐ鎖

  
 レバノン杉は古代から造船、寺院・墓の建設に使用され、古代エジプトでは樹脂をミイラ製造に使っていた。オスマントルコ時代にほとんど破壊され、残っていた木も第2次大戦中にイギリス軍によって鉄道の枕木とされてしまった。このように植林しないまま伐採し続けた結果、レバノン杉の森はほとんどはげ山になってしまった。内戦などの影響もあったのか、最近になってやっと保護・植林がされるようになった。
 レバノン杉林(森というほどは残ってないのでビックリ)に到着したのは夕方の5時。入り口にはルーディ・ラフメがレバノン杉で作ったキリスト像(磔のシーン)の彫刻があった。ここで30分ほど自由散策。
ほとんどはげ山になってしまった
 
レバノン杉林には歩道がある
    
ひんやりして気持ちが良い

  
植林されたレバノン杉
1年に2〜7cmしか成長しない

  
これは最も古い、樹齢3000年のレバノン杉
こんな木でいっぱいの森があったなんて想像がつかない
このあたりには、レバノン杉を使ったお土産屋さんがあります
  
樹齢3000年のレバノン杉の根元
根元にはほこらがあってマリア像が安置されていました

  
部屋の窓から見た風景
ワジ(谷)が目の前にあって、その向こう側の町の明かりが少しだけ見える

  1日に何回も教会の鐘の音が聞こえて、何だか不思議な感じがしました
 ここはキリスト教徒の町なので、アザーンはまったく聞こえない 
  それに田舎道の道祖神のようにマリア像を沢山見かけた
  
 6時半頃ホテルに戻るとガードマンが昼より増えて物々しい雰囲気になっている。夜にホテルで、あるパーティーが行われるらしいのです。パーティーの主役は、11年間牢獄へつながれていて5ヶ月前に釈放されたサミール・ジャジャとその奥様(国会議員)でした。
ホテルといってもとても小さなところ(この町では高級?)。レストランホールでは着席式のパーティーが始まっていて、そこにラフな格好の日本人が登場。同じホールの端に私達の最後の晩餐の席が設けられていて、そこまで行くのにパーティー出席者全員の注目をあびることになってしまった。パーティーのほうは、真中の席に美しい奥様と町中に貼られていたポスターと同じ顔のジャジャさんが座っていた。
 サミール・ジャジャはブシャーレ出身のキリスト系マロン派民兵組織レバノン軍団の司令官だった人。この日は挨拶もインタビューも奥様がすべてこなしていて、ジャジャさんは食事もせずボーッと座っているだけ。何もしゃべらず、誰がどう見ても様子がおかしかった。目もうつろだし・・・。私達のテーブルの近くにも二人のガードマンが立っていたのでジャジャさんの写真は撮れませんでした。その後のニュースによると精力的に活動しているらしく元気そうな写真が載っていました。
(顔を見たい人は、こちらから『 サミール・ジャアジャア 』で検索してみてください。AFP BB News
 最後の晩餐を楽しんでいると、新聞とジャジャさん達の広報の人が写真を撮らせてくれとテーブルにきました。めでたい(?)パーティーの日に日本からの観光客が来ていることが面白かったのでしょう。ジャジャさん達主役は途中で帰ったのですが、そのときも広報の人が「楽しんでくださいね」と挨拶に寄られました。
 食事が終わりロビーに出ると早速夜のニュースでパーティーの様子が流れていました。翌日の地元の新聞に載ったかもしれないな。見られなくて残念。

明日でレバノンも最後。
 朝、ロビーにいるとオビワン・ケノービのような格好の老人がお花をもって入ってきた。レストランやロビーにそれを飾ると皆に挨拶をして帰っていきます。山の修道院からきたのでしょうか。
 今日は8時に出発。レバノン第二の都市トリポリへ向かいます。トリポリはフェニキア時代から港町として栄えていた場所です。まずはサン・ジル要塞を見学。1104年フランスのレイモンド・サン・ジルによって建てられた十字軍の要塞で、マムルーク朝によって攻略・再建されその後攻略・再建が繰り返された。
自由時間のあと、旧市街地を歩いてスークへ向かう。
サン・ジル要塞から見たトリポリの海
  
要塞の入り口
  
中は広く、中庭や牢獄跡などがある
  
パンやいちぢく、アンズのお菓子を買う
  
おかしなマネキン達
  
意外と明るいスークの中
 
  
有名な石けんの工房
ラベンダーの石けんは肌に優しくとても良い香りだった
  
トリポリ1有名なお菓子屋さんへ
ここは行きたかったので案内してもらって良かった
ものすごく混んでいます

  
 バスで海岸沿いを走りベイルートへ向かう。途中、あのハリリさんが暗殺された現場を通りました。8ヶ月経った今も現場はそのままで爆発の酷さがわかります。
鳩の岩の前にあるレストランで昼食。さっさと食べてレストラン1Fにあるスターバックスへ急ぐ。マグとモカ・フラッペチーノを買って付近を散策。風景はリゾート地のようだが一部の建物は内戦の跡がそのまま残っていて、浮ついた気持ちを一気に現実に引き戻します。

  
トリポリからベイルートへの道  リゾート地のよう
  
惨劇の現場
  
(たしか)炎上した銀行
  
老舗高級ホテル(たしか、ホテル・・・)
  
 楽しい旅も終わり、ベイルート国際空港からカタールのドーハへ向けて出発。ドーハでの待ち時間はすっかり仲良くなった皆で旅行話でもりあがりました。(ベイルート国際空港は現在ラフィク・ハリリ国際空港と名称を変えています)
楽しい旅も、もう終わり
  
 10月30日(日)の午後、関西国際空港に到着。大阪組と東京組のお別れです。
羽田へ向かう飛行機は夜出発でそれまで5時間近くあります。添乗員さんと東京組で食事をしたり、関空のプリクラを撮っていたら意外と時間がつぶせました。
  
 岐阜県と同じ大きさで、ないのは砂漠だけ、というレバノン。私は遺跡しか考えていなかったので、自然の美しさや修道院の見学はとても楽しかった。帰りの飛行機で聞いたレバノン音楽にもはまりました。(これは音楽のページで紹介します)意外だったのは、レバノンに残る戦争の傷跡。知ってはいたのですが、大きなショックを受けました。
料理もワインも美味しくて、日本人好みの国ではないかと感じたレバノン。これは第二のエジプトになる!と思って書き始めたのですが、今ではすっかり中東の紛争地帯の一つになってしまい本当に残念です。
港があり、資源豊富な美しい国。だからこそ古代から紛争の種になっていたレバノン。更に宗教が加わり、この小さな国は主導権争いに翻弄されています。
 いつか安全に旅行できるようになったら、もう一度行ってみたい国です。