2007.11
 『生麦事件』ご存知でしょうか。大名行列を横切った外国人が切り殺され、それが原因となって薩英戦争が起きた、と習いました。最近江戸関連の本を読んでかなり凄惨な事件だったことがわかりました。
 1862年8月21日。その日幕府からは、公家を含む大行列が通るので東海道には近づかないよう英国公使宛に連絡が届いていた。しかし、オランダ語から英語に訳している最中に英国人リチャードソンら4名は川崎大師への乗馬に出かけてしまう。途中、行列に気づいた4名は横浜へ引き返そうとしたが、間に合わず薩摩藩士に斬られてしまった。リチャードソンは落命、他の3名は腕や肩を斬られながらも米国領事館へ逃げ込んだ。
 リチャードソンが絶命した場所が、現在『生麦事件之跡』として残っている(下の写真)。この近くには外国人たちがよく利用していた茶屋があった。瀕死の彼はこの店先まで身を引きずり、水を求めた。内臓を引きずりながら逃げてきた彼に、追いかけてきた藩士がとどめを刺した。事件後、絶命した場所を鶴見の黒川氏が地主から買取り私費で碑を建てたようです。
 ちょうど本を読んだあとに横浜のキリン・ビア・ビレッジへ行くことになり地図を見ると、なんとビア・ビレッジの入り口横が『生麦事件之跡』でした。京浜急行の生麦駅から徒歩で10分くらいのところ。最初に襲われた場所は川崎寄りの住宅街で、今は簡単な看板があるだけのようです。
 この事件の前にも行列と外国人居住者が遭遇する場面は沢山あったそうです。どうしても尾張藩主の行列を見たかった米国商人のホールは、目立たない場所で見物しようと崖の上で双眼鏡を持って待っていた。双眼鏡をのぞくと、崖の下を通りかかった藩主がオペラグラスを目に当ててホールたちを見つめていた。ホールは帽子を取り深々とお辞儀をした。こんな平和的な遭遇もあったのです。皇女和宮の行列と出逢ったフランス公使達もいます。
 東海道は西国大名が頻繁に通る道であり、川崎までは外国人の通行も認められていた。生麦はこのような殺傷事件が起きる可能性のある場所だったのでしょうか。


小さな一画です
 
きれいに手入れされていました
 
「力査遜」がリチャードソン?
 
史跡の周りは工事中でした なにか作るのでしょうか?